今、必要なこと

2020年03月06日 07:28



気遣い
対等な人間関係のために必要な「気を遣う」ということ
仕事で「気を遣う」ということ

「気を遣う」
結構なエネルギーを消費してしまいます。
相手の一挙手一投足を観察したり
慎重に言葉を選んだり
気を遣わせないように気を遣ったり
気遣いというものは
メンタル的なエネルギーをごっそり消費するもの。

メンタル的なエネルギーの源泉とは「気持ちの余裕」です。
気遣いに使用したメンタル的なエネルギーは
気遣いをした相手に
メンタル的なエネルギーを供給し
気遣いをされたほうはそのエネルギー分の「気持ちの余裕」が生じます。


そして多くの場合
人はそのエネルギーをもらいっ放しにせず
気遣いでお返しします。



「あなたのお陰で仕事が成り立っています。いつもありがとうございます。」
という気遣いに対して
「そんなことないです。あなたのお陰で気持ちよく仕事ができています。
こちらこそありがとうございます」
と気遣いでお返しするわけです。


これで「対等」という立場ができあがります。

「対等」
というのは気を遣わない関係ではないということ。
お互いに気遣いし合い、尊重し合うことで対等な立場になることができます。

そのための礼儀としてまずは下の立場の者が上の立場の者に気を遣うことは当たり前。
捧げることをしなければ戻ってくるものもありません。
気遣いをしなければ、相手も気遣いをすることはないでしょう。



お互いを尊重し合う対等は親和になります。
お互いを尊重しない対等は戦争になってしまいます。

戦争になったら「対等」という名のリングの上で戦わなければならなくなってしまいますので、実力の伴わない下の立場の者が必敗必至になってしまうんですよ。




萎縮したり遠慮したり媚びたりする必要は一切ありませんが
気を遣う労力を捧げるのは人として当たり前の行為。

気遣いの必要のない人間関係なんて幻想でしかありません。
すべての人間関係は気遣いで繋がっているのです。




気を遣ってあげて 
いい気分で踏ん反り返っているだけの人ならそれまでのこと。
「器の小せえ奴だな」と心中で蔑んでいればいいだけ。
まず気遣いをしなければ、その人の器の大きさもわかりません。


今、この時だからこそ、お互いに気遣いが必要なのではないでしょうか。




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